「島唄」や「風になりたい」などの楽曲が特に有名で、2014年に解散した大人気バンド『THE BOOM』のボーカルであった
宮沢和史さん
2017年に歌唱活動再開が発表されてから、少しづつ表舞台でソロ活動を再開しています。
結婚されていて、息子さんと娘さんがいらっしゃるとのことですが、宮沢和史さんの若い頃と息子さんが似ているという噂があるのです。
宮沢和史さんの若い頃ってどんな感じだったんでしょうね?
娘さんは似てないんでしょうか???
何やら「離婚」のフレーズも出ているので、画像を交えながら詳しく見ていきたいと思います☆
宮沢和史のプロフィール
名前:宮沢和史(みやざわ かずふみ)
生年月日:1966年1月18日
出身地:山梨県甲府市
身長:171㎝
なんとなく宮沢和史さんって、沖縄のイメージがあったのですが出身は山梨県なんですね!
1986年にTHE BOOMを結成し、1987年に歩行者天国で路上ライブを始めます。
1988年にソニーミュージックのオーディションに合格し、1989年にはデビューシングル『君はTVっ子』を発売。
どんな感じなのか聴いてみたのですが、ポップなサウンドでライブでもとても盛り上がっている曲です。
個人的には、THE BOOMって聴かせる系のバンドなんだと思っていたので、ロックな楽曲だったことに驚きましたね。
宮沢和史さんが、ほぼすべてのTHE BOOM楽曲の作詞作曲を手掛けていて、バンドの認知度を特に高めたといわれる「島唄」「風になりたい」はあまりにも有名。
特に「島唄」は、アルゼンチンで宮沢和史さんの知らない間にカヴァーされていて、しかも大ヒットしてましたもんね!
世界中を旅して、そこで得たフィーリングやインスピレーションから、様々なジャンルの音楽要素を取り入れて作っているそうですが、やはりベースにあるのはロックなんだとか。
だから、THE BOOMの楽曲ってバラエティに富んだ、オールマイティーな感じがするのかなぁなんて思いました。
プライベートでは、釣り好きとして有名であったり、学生時代に飲食店でバイトをしていた経緯などから料理が得意だったり、と様々な顔が見られますが、メディアでそれを語ることはあまりありません。
また、2003年に開幕戦の始球式をしたくらいの福岡ソフトバンクホークスファン。
2014年に行われたTHE BOOMの福岡最終公演では、3年ぶりのホークス日本一を祝い公式球団歌「いざゆけ若鷹軍団」を熱唱したといいます。
宮沢和史の若い頃が息子に似ている【画像】
優しそうな雰囲気がある宮沢和史さんですが、若い頃はどんな感じだったんでしょうね?
噂では息子さんに似ているとのことですが…ここで比較してみましょう!!
まずは、宮沢和史さんの若い頃。
なんとも精悍なお顔立ちでキリっとしています。
そして、宮沢和史さんの息子さん、宮沢氷魚(みやざわひお)さんは、モデルと俳優として活躍中。
ドラマ【コウノドリ】に出演していたので、見覚えのある方も多いでしょう。
宮沢和史さんと目元がとてもよく似ていますね!
若干、宮沢氷魚さんの方が目の色が薄いように感じますが、これはお母様である光岡ディオンさんがハーフというのが関係しているのだと思います。
また、宮沢和史さんにはもう一人息子がいて、名前は宮沢海実(みやざわかいみ)さん。
彼は氷魚さんの弟にあたりますが、氷魚さんのように芸能活動はしておらず一般人ですので、残念ながら画像や細かな情報を見つけることは出来ませんでした。
しかしながら、海実さんもお父様に似たイケメンなのでは!?と想像していますww
宮沢和史の離婚や娘について
さきほどちらっと触れましたが、宮沢和史さんの嫁ちゃんは光岡ディオンさん。
フィリピンと日本のハーフで、鼻筋の通った美人ですね。
結婚してからは芸能活動をしていないそうなんですが、お若い頃もとてもお美しく、MTVやCNNの日本語ナビゲーターやラジオパーソナリティなどを務めていました。
こんなに美人やのに、顔の出ないお仕事ばかりしていたなんてちょっと勿体ない気もしますねw
宮沢和史さんと離婚の噂が出ているようですが、そのような事実を確認することは出来ず、情報を見つけることは出来ませんでした。
不仲説すらないところを見ると、芸能人ってホント火のない所に煙は立つんだなぁと感じることしきりです。
宮沢和史さんにはさきほどご紹介したとおり、息子さんが二人と実は娘さんも一人みえます。
お名前は、宮沢瑠歌(みやざわるか)さん。
彼女もまた一般人なのか、残念ながら年齢やその姿などは明らかになっていません。
とはいえ、宮沢和史さんに似ていても光岡ディオンさんに似ていても、オールいいとこ取りの美人さんだろうなーというのは想像できますね!!
今回は、宮沢和史さんのご家族についてまとめてみました。
最後までお付き合いいただきありがとうございました☆